どうも、サラリーマンこあらです。
「どうしてメンタルを崩したんですか?」
「何が原因だったと思いますか?」
休職をするとき、一度は聞かれるであろう質問。
私は、この質問にうまく答えられなかった。
なぜなら。
自分でも、よくわからなかったから。
“何かひとつ”が原因じゃない
ドラマのように、
強烈なパワハラがあったとか、
明確なトラブルに巻き込まれたとか、
そういう分かりやすい出来事があれば、きっと説明しやすい。
でも、実際にはそんなドラマチックな理由があるとは限らない。
むしろその逆で、日々の小さな負担が、じわじわと積み重なって、気づいたときにはもう、自分の中の「何か」が崩れている。
そうやってメンタルが崩れることも多々ある。
「気づいたらもう、限界を超えていた」
- 業務量が多い
- 難易度が高い
- 責任が重い
- 期限までの猶予が無い
そんな状況の中、日々、自分なりに頑張って残業して、仕事を処理して…
少しずつ少しずつ、心が削れていった。
そしてある日、限界を超えた。
理由なんてわからない。
ただ、もう無理だった。
それだけ。
そういうことだって、多々ある。
自己分析しても、「これ」と言える理由はなかった
私は、これまで休職した際に、自分なりに自己分析をするようにしている。
どうして、こんなにしんどくなったのか。
なぜ休むほどつらくなったのか。
原因はなんだったのか。
でも、「○○だから」と、明確な理由を見つけるのは難しい。
私のこれまでの休職の場合、いろんなものが複雑に絡み合っていることが多い。
- 業務量の多さ
- 難易度の高い仕事
- プレッシャーと責任感
- 体力の低下
- 相談できない空気
- 「頑張らなきゃ」という思い込み
全部が少しずつ積み重なって、気づいたときにはメンタルが崩れていた。
そんな感じ。
「理由を明確にしなきゃ」は、もうやめよう
私の性格上、どうしても「メンタルが崩れた理由」を考えてしまいがちだが、上手く理由が整理できないことだって、よくある。
だから、むしろ、しんどさに“理由”を求めなくていい。
それでストレスを感じてしまっては、もったいない。
理由が明確であろうとなかろうと、身体に不調が現れるほど「しんどい」と感じているなら、それはもう十分に休む理由になる。
誰かに納得してもらうための「正しい理由」なんていらない。
自分が「限界だ」と思ったら、それだけで十分。
しんどい気持ちは、説明しなくていい
心が疲れてしまったとき、
私たちはつい「どうしてこうなったのか」と答えを探そうとする。
だけど、心ってそんなに単純じゃない。
「なんか、無理になった」
それでいい。
それが、リアルな心の声。
自分が今、しんどいのなら。
“正当な理由”なんて見えていなくても、それは休んでいいというサイン。