どうも、サラリーマンこあらです。
これは、私が実際に経験した話。
私の職場で、ひとりの同僚が命を落とした。
原因は仕事上の事故。
ただ、その出来事に対する職場の動きを間近で見て、心の底から幻滅しました。
「面倒くさいことになったな」という空気
その事故の報告が上司に入った時、正直、私たち部下の人間は何が起こったのか把握してなかった。
ただ、明らかに上司や管理職の様子がおかしい。
聞き耳を立てていると、どうやら、同僚が事故で亡くなったらしい、と。
そして何より衝撃的だったのは、管理職たちに“悲しみ”の表情は無く、“厄介ごとが起きた”というムードが漂っていたこと。
その後も、体裁を気にするような発言・指示が多く、遺族からの怒りの言葉に対しても面倒臭そうに対応する姿勢。
誰かの命が失われたのに、対応はまるで、プリンターが壊れた時と大差ないレベルの、「面倒臭いことが起きた」という“業務処理”。
あの瞬間、思い知りました。
「ああ、自分も組織にとっては、ただの歯車なんだ」と。
悲しむのは、家族と、友人と、わずかな同僚だけ
亡くなった方の遺族や、親しかった同僚、友人は、深く心を痛めているはず。
でも、会社は、管理職は、違う。
「命」が失われたという事実よりも、組織のリスク管理の不備について世間体・体裁を守る対応の方が、ずっと重要そうに見えた。
誰かが命を落としても、職場の仕事は通常通り動く。
時間が経てば、人が補充される。
仕事は誰かが引き継ぎ、また日常が始まる。
会社にとっては、それが全て。
悲しむのは、あなたを本当に大切にしてくれていた人たちだけ。
そんなバカげた場所で、命を削る意味がある?
今、もしかすると、
「もう心も身体も限界」
「仕事から逃げ出したい」
そんな場所に立たされているのかもしれない。
それでも、歯を食いしばって、身体に鞭を打って、耐えながら頑張っているかもしれない。
でも、想像してみてください。
もし、あなたがその状態で仕事を続け、仕事のストレスで身体を壊し、心を壊し、そして万が一のことが起きたら・・・
会社は何をしてくれる?
おそらく、会社を守るための理屈を考え、面倒な手続きを淡々と処理し、次の人材を探し、組織を“正常化”しようとするだけ。
会社組織なんて、結局、そんなもの。
会社は、自分を命懸けで守ってくれる場所じゃない。
だから、自分が命懸けで頑張る必要は無い。
だからこそ、さっさと逃げてほしい
会社のために、仕事のために、責任感で踏ん張っている人に、心から伝えたいこと。
「逃げる」ことは、負けじゃない。
「休む」ことは、甘えじゃない。
それは、生き延びるための、正しい判断。
もし疲弊して壊れてしまっても、職場は「あぁ、大変だなぁ」程度の反応で、びっくりするほど動揺しません。
でも、自分の家族、友人、恋人など、自分のことを大切に思っている人たちは違う。
万が一のことがあれば、一生癒えない、やり場のない怒りや悲しみを抱えて生きることになる。
だから、壊れる前に、距離を置く。
少し、立ち止まる。
会社が、上司が、同僚がどう思うかなんて、どうでもいい。
あなたが、健康でいることが、なによりも大切。
命を守るために、今日、休んでもいい
この社会には、「頑張った人が報われる」なんて綺麗事だけでは語れない現実がある。
むしろ、本当に頑張った人から壊れていく。
そうとも言える。
少なくとも私は、それを現場で、実際に見ました。
だから、これだけは伝えたい。
命を削ってまでやるべき仕事なんて、ひとつもない。
職場の自分は、自分の“全部”じゃない。
自分がいなくても仕事はまわる。でも、自分の命は、ひとつしかない。
生きるためなら、プライドなんて捨ててもいい。
自分を大切に思ってくれる人たちのために、自分が大切にしたい人たちのために、壊れる前に、休んでほしい。